Kudaranai Moji
ARBのあの距離感のまま乳首を吸わされる気の毒な幼馴染の話
その日珍しく早めの帰宅となった観音坂独歩は「とりあえず」とばかりに、同居人であるところの伊弉冉一二三へと帰宅の旨をメールをした。
帰るコールという言葉自体はおそらく風化して久しいと思われるがその習慣自体は今も行う家庭もあるだろう。同居人ではあれ独歩と一二三は夫婦ではなかったが、独歩は早い帰宅が出来る際には時々──夜の仕事に就く同居人の出勤前、もしくは彼の休みの日に限り──こうして当然のように帰るメールを入れるのだった。
「よし、……お? 一二三のやつ、返信早いな……それに無駄にテンション高い……」
早速届いた返信のメールへ目を通すと食料品の買い出しが丁度終わったところだという内容で、それなら待ち合わせて一緒に帰ろうかと独歩は返信を重ね携帯を閉じた。気心知れた幼馴染はもう二十三年の付き合いで、些細なことで揉めたりすることはあるが二人はとても仲が良かった。おそらく二人は互いが自覚する以上に、仲が良かった。
商店街でおちあって、一二三が買い出しをした荷物の半分を受け取り独歩は一二三と並んで歩く。ジャケット姿の一二三が道すがらに女性を口説いたりしないようやや人通りの少ない裏道をのんびり喋りながら歩いていると、不意に暗がりから野良ラッパーが飛び出てきた。絵に描いたようなガラの悪い三人組の男が独歩と一二三へ下卑た笑みを向けている。中王区の刻印のないマイクを取り出すと流れるような動作でそれを起動させ、チャンスとばかりに正面から襲いかかってきた。
「おい、お前ら麻天狼のヤツらだな?」
「へっへっへ、コイツでも食らえ!!!!」
そんな常套句とともに、出合い頭から最大出力で発せられた凶悪なリリックが丸腰の二人を襲う。微塵も手加減のないラップは彼らの脳を直撃し、あわや二人はその場へ膝をつきかけた。
「何ッ!?」
「ぐあっ!!?」
至近から、何の準備もなく不意打ちされてしまってはいくら『勝者・麻天狼』のチームメンバーであってもさすがに防ぎ切れない。しっかり冒頭の1バースを食らってしまった二人は、脳髄が揺れるような感覚に顔を顰めながらポケットからマイクを取り出した。よろけた膝を叱咤し、野良ラッパーを睨み付ける。
「くそっ、卑怯だぞ!」
「僕たちに牙を剝くなんて、……しっかり後悔させてあげるよ」
二人がマイクを起動すれば即座にスピーカーが現れて、決着さえ一瞬だった。独歩と一二三の連携の前には野良ラッパーなど端から敵でない。あっけなく吹っ飛ばされた三人はしかし、どういうわけか満足そうな顔でアスファルトの上に伸びていた。
「っへへ……せいぜい苦しめ……っ」
「……何だ? さっきのリリックか? 一体何を、おい」
捨て台詞を最後に気を失ってしまった野良ラッパーからは残念ながら違法マイクの効果を聞き出す事は叶わなかった。独歩と一二三は寂雷へと連絡を入れ、野良ラッパーの拘束及び違法マイクの届け出と、リリックを受けてしまった自分たちの簡単な診察とを済ませるとようやく自宅へと帰りついた。
入浴と夕食を済ませ、そろそろ就寝しようかというところで先に異変に気付いたのは一二三の方だった。
「あんさあ」
リビングのソファから自室に戻ろうと独歩が腰を上げたその時だ。浮かない顔でそう呼びかける一二三へ独歩がわずかに眉を寄せると、一二三はとても言いづらそうに重い口を開いた。
「俺っちチョッチおかしいかもなんだけど」
「なんだ、もしかしてさっきの違法マイクか?」
「そーかもなんだけどさあ、……独歩は? 何かおかしかったりしねえ?」
「え、俺は……」
別に何とも、と言いかけてふと口を噤んだ。
じわっとした違和感がある。はっきりとは口にしがたい、言いようのない感覚が確かにある。一二三を見ているとどういうわけか落ち着かない気持ちがする──そう気付いて独歩は首を傾げた。
「……分からん」
誤魔化しているわけではなく本当に分からないのだと、そんな意図を独歩の顔から汲み取って一二三が頷いた。
「独歩ちん、さっきのリリックどんなだったか覚えてっか?」
「さっきの? ああ、確かなんか円周率っぽいこと言ってたよな。πがなんとか……って」
「あのさあ」
ひどく真面目くさった顔で一二三が、独歩の手首を掴んで言う。無意識なのかその手を自分の方へ引き寄せるようにしながら、普段の彼らしからぬ気弱な声で呟いた。
「……俺っち、胸っつーか、……おっぱいが疼くんだけど」
「………………は?」
「……更に言うんだけどさ、……独歩に吸われたい、つーか」
「はあ?」
頓狂な声は致し方ないところだが、それにしても唐突な告白に独歩はまたたいた。普段なら「ふざけるな」と一刀両断するような内容であるがしかし、すぐ隣の幼馴染はどう見てもふざけてなんかおらずにいっそ困惑し果てた顔で独歩を見つめている。
「……どうしよ」
「ど、……どうしようって、いわれても……」
返答に詰まりながら独歩は、じっと自分を見つめる視線から逃れるように目を逸らすとそっとその先を下の方──一二三の胸元へと移してみた。当たり前に何もない、平坦な男の胸だ。まず一二三の口から「おっぱい」などという言葉が出てくることから非常に珍しいのだが、それにしてもこんな前代未聞の事態に対し独歩は自身がどうすればよいのか全く考えつかないでいた。
「……どうしようも、なくないか……?」
「それが分かってっからこーして相談してんじゃん……」
俺っちこのままじゃおっぱい疼いて寝らんない。
そうこぼす一二三は心底困り果てていて、だからこそ独歩は大きな溜め息を吐いた。折角いつもより早めに退勤出来たというのに、こんな日に限ってどうして自分はこうも運が悪いのだろう。本当ならもうとっくにベッドですこやかに就寝しているはずなのに──あすが休みなのがせめてもの救いではあるものの──まさかこんなことになるなどと一体誰が予測し得ただろう。
ひとつ、独歩にはあまりよくない推測があった。
先ほどから感じている違和感の正体。一二三を見ていると落ち着かないこの感情。もしやこの違和感は──自分に発現してしまった違法マイクの効果とは──
(俺はもしかして一二三の胸が吸いたいのでは……?)
どうあっても認めたくない、たとえ何があったとてこんな頓珍漢な効果を認めるわけにはいかない。何せ自分と一二三とは二十三年来の親友で、些細な喧嘩はあれど仲良くここまでやってきたのだ。こんな馬鹿げた違法マイクの効果ひとつでこの信頼を崩すわけにはいかない──
胸のうちで頭を擡げた可能性のひとつを完膚無きまでに叩き潰し独歩は眉間を揉んだ。両目を閉じるとひとまず心を落ち着けるため大きく息を吸い、吐いた。ふう、と吐き出して目を開くとたった五センチの距離に一二三の顔があったものだから、独歩は泡を食って大きく背をのけ反らせた。
「ちょ、何だよ近いな!?」
「つーか俺っちが困ってんのに寝ようとすんなよな〜?」
「寝てない!」
一二三の両肩を押して距離を確保すると独歩は大仰に溜め息を吐く。あああ、と嘆いて首を振った。
「大体おかしいだろ、そんな効果。ここで俺が欲に任せてお前の胸を吸ったりしたらどうなる。俺は明日からお前とどう顔を合わせればいいのかわからん。そもそも男の胸を吸いたいとかこんなの変態でしかないだろ、これもマイクのせいだとか、大体違法マイクって何なんだよ。何でみんなあんなの持ってんだよ。何で中王区はあんな危険なものを野放しにしてるんだよ……もっとちゃんと取り締まれよ、完全に業務怠慢だろ……」
「チョッチ待って、独歩俺っちのおっぱい吸いてえの?」
独歩の陰気な独り言であれ、その内容を聞き逃すような男ではない一二三が独歩の肩を引っ掴んだ。しまった、そう思った独歩だったがもう遅い。先ほどよりも近い距離に一二三がぐっと近付いて、宝石級と名高いその整った顔でにんまりと笑んだ。
「んだったら話早くね!? 俺っち吸ってもらったらスッキリすっかも知んねーし独歩も吸ったらスッキリすっかもよ?」
「そんな気軽に言うな! ていうか、そういう問題じゃないだろ。大体、倫理は無いのかよ。お前の中に」
「リンリとかあっけど独歩ならよくね? 俺ら今更そんな遠慮とかする仲じゃなくね?」
「親しき仲にも礼儀ありって言葉を知らんのか……?」
「知ってっからどーしよっかなって困ってたんじゃんよ〜」
礼儀とは、遠慮とは、倫理とは。
そんなことをぐるぐる悩んでいる独歩とは相対的に一二三はすっきりとした顔で独歩の腕をむんずと掴んだ。
「な、決まり! さっさとベッド行ってさっさと済ませてスッキリしてさ、そんで寝たら嫌なコトとかきれ〜サッパリ忘れっからさ、モーマンタイだって!」
「モーマンタイじゃない……」
斯くして観音坂独歩二十九歳独身、強引に押し切られるかたちで同居人に担がれるようにしてリビングを後にすることとなったのだった。
苦悶の夜は長い。
***
そもそもなぜこんな効果の仕込まれたマイクが存在するのだろうか。
事実は小説よりも奇なりと掲げたのは誰だったろうか。
目の前にさらけ出された肌は同い年の男のものとは思えないほどに整っていた。ベッドの上で上半身のみ裸になった一二三は威勢のいい振りをしながら、それでもさすがに声を上ずらせて言った。
「やっぱチョッチ恥ずいから電気消してもいい?」
そんな問い掛けへと無言のまま頷き返した独歩がリモコンで消灯すると、同時に一二三の口から嘆息めいた声が漏れた。そんな声を聞いて、ああ、と独歩は思う。一二三とて勇気が要ったのだ。普段あんなに明け透けな物言いをする男でも、さすがに恥を忍んでの発言だったのだと改めて思う。明かりを消した事で輪郭のみとなった幼馴染の肩へ、そっと手を置き独歩が囁いた。
「……さっさとやってさっさと終わらせて、さっさと寝るぞ」
「ん、そーしよ」
互いに座っているよりも横になった方がやりやすいだろうからと、独歩がそっと押し倒すかたちで一二三はベッドへと横になった。ひやりとしたシーツへ背を預けた一二三が、独歩の頬へと手を伸ばす。それへ応えるように、独歩が身を屈めた。
改めて触れた肌は目で見たよりも繊細で、まるで吸い付くように滑らかだった。自分のかさついた指先では傷を付けてしまうのではとさえ思った。それでも、掴んだ肩はしっかりとした弾力があって独歩はわずかに安堵した。紛う方なき男の体だ。これまでろくに観察などした事もなかったが、こうして直に触れてみると丁寧に手入れされている体なのだということがよく分かった。
「ナンバーワンホストの体、すごいな」
独歩は本心から褒めたつもりだったが一二三は苦笑した。
「え? なんで?」
「彫像みたいだ」
うまい喩えが思い付かない程度には独歩は既に一二三の体に──具体的には胸に惑わされている。どうやら違法マイクの効果がじわじわと上がっているらしかった。リリックのせいだろうが何だろうが自覚してしまえば欲望などというものは一息に膨らんでしまうもので、しかし理性がどうにかそれを抑えようとするものだから独歩は内心にひどく葛藤した。
「……い、いいか」
「さっさと吸っちゃってちょ」
一二三の言うとおりさっさと済ませたい。済ませて一刻も早く休みたい。明日の朝は惰眠を貪りたい。そう思って唇をそっと一二三の胸元へと近付ける。途端、一二三がもじもじと身を捩った。
「い、息が擽ってえ」
「なっ、我慢しろよ……」
恥ずかしさがいっそう増して一二三を見る。暗い部屋の中では顔色など全く分からないが、少なくとも息が上がっているのは間違いなさそうだった。おそらくこれはさっさと済ませないと自分も一二三も限界が近そうだと、いよいよ腹を括って独歩が生唾を飲んだ。
──南無三
一二三の胸へ顔を近付け、目を閉じて舌を出す。その先端にひたりと肌が触れて途端、独歩は脊椎に甘い痺れのような刺激を感じた。と同時、一二三が体をびくつかせて甲高く喘ぐ。
「あんっ」
「!?」
声に驚いて顔を上げた独歩を、困惑しながら見下ろす視線の気配がした。細く息を吐いた一二三が肩を竦め弱く呟く。恥じ入るように、まるで蚊の鳴くような小さな声だった
「気色悪ぃ声出ちった……メンゴ……」
「あ、いや……」
気色悪くなんかなかったと、そう言おうとして独歩は思い止まった。きっと何も言わない方がいい。下手に口を開くとまたひどい墓穴を掘るのだと、そんな悪い予感がした。
「……気にするな。続けるぞ」
「ん、おなしゃーっす……」
改めて一二三の肩を掴み直した自分の手がひどく汗ばんでいる。緊張しているのだと客観的にそう思って独歩は目を閉じた。
大丈夫、きっと少し吸えば治まるに決まっている。先ほどから下腹に熱の籠る予感が高まっているがそんなものは後からトイレで処理すればいい。自分も一二三も違法マイクによる被害者であって、これは互いの利害一致による応急処置なのだ──決して一方的で醜い欲望とは無縁のはずだ。この二十三年間、一二三に欲情をしたことなど一度だってなかったのだから。
もう一度舌先で触れるとやはり痺れるように何かが体を駆け巡って、先ほどと同じように一二三が高く喘いだがそんなことはもう耳に入らなくなっていた。
肩から滑らせた指先で一二三の乳首を探り当て、独歩はそれへ絡めるように舌を這わせた。何の変哲もない男の乳首は、それなのに舌の先に甘ささえ感じさせた。わずかに汗ばんだ一二三の肌を指の腹でいたわるように撫でながら独歩は唇でそっと乳首を挟み込む。ちいさなそれを口の中へ納めるように胸元へくちづけ、そっと吸い上げると一二三の体が魚のように跳ねた。
「あ、っ!」
一二三の両腕が独歩の頭を抱え込むように抱き締める。とうに互いの息は上がり切っていた。肩で浅く呼吸を繰り返す一二三の腹を撫でながら独歩が必死に乳首を吸う。箍が外れたのか、先ほどまでのような臆病な陰はもうどこにも残っていなかった。舌の先で乳首を転がし唾液を絡ませて、時折ちゅうちゅうと音を立て吸い上げる。興奮した独歩の息遣いが一二三の鼓膜をゆるやかに刺激して、独歩の髪へ指を絡めながら一二三がねだった。
「反対側も、してよお」
「んっ」
たまらなく気持ちよかった。情欲に任せて吸い付いた乳首が舌の先で固くなるのが、どうしようもないまでに腹に響いた。片側を吸い上げ、もう片側を指の先でやさしく捏ね回した。
独歩も一二三も、羞恥心など置き去りにして事に耽った。おそるべし違法マイク。舐めて舐められ吸って吸われて、そうして刻々と夜は更けていく。互いの下腹に隠った熱がさらに欲望を煽って、深夜の寝室には荒い息遣いと肌を吸う湿った音だけが延々と響いている。
悦楽の夜は長い。
そして翌日、幼馴染の家を訪問したDJ俺氏からの報告です。
「おはようございます」
玄関のインターホンを鳴らすと「はいはーい」と伊弉冉さんが応答してすぐに玄関を開けてくれた。伊弉冉さんはこんな時間でもバッチリ格好良くてキラキラしていて、縦半分が縞模様をしたエプロンで手を拭いながらにこにこ笑った。
「よ、おはよーさん! 朝早くから来てもらっちって悪かったな〜。さ、入った入った」
「いいえ、大丈夫です。お邪魔します」
早起きは得意な方だし、ヨコハマ・ディビジョンからシンジュク・ディビジョンまで電車で40分も掛からない。電車移動だって好きな方だから、何も苦じゃなかった。第一、大好きな麻天狼のお二人に会えるんだから、いつもより朝起きるのが簡単だったくらいだ。伊弉冉さんに促されるまま玄関で靴を脱ぐと、僕はいつものようにリビングに通された。
***
「っつーコトがあってさあ」
そう言って伊弉冉さんは大きな溜め息をついた。
とんだ災難だなあと思いながら、そうだったんですか、と相槌を打つと、伊弉冉さんは僕にココアの入ったマグカップと焼き立てのトーストの乗ったお皿を差し出しながら大仰に肩を竦めた。
仕事帰りに違法マイクで攻撃されてしまうなんて大変だな、と伊弉冉さんを見てみたけれどいつもとまったく変わらない様子だから、きっとマイクの効力は無事に切れたんだろう。伊弉冉さんみたいにカッコイイ大人の男の人がまさかおっぱいを吸われたくなるなんて、きっと誰も考えないと思う。吸われたくなってしまうのも災難だし、逆に吸いたくなってしまった観音坂さんも気の毒だ。けど──
伊弉冉さんと観音坂さんはすごく仲がいい。僕はお二人と知り合ってまだまだ日が浅いけど、二人がすごく信頼し合ってるのはよく分かってるつもりだ。そんな伊弉冉さんと観音坂さんだったからきっとそんな目に遭っても仲がこじれたりせずに暮らしていられるんだろうけど(だってもし僕と師匠がそんな違法マイクで攻撃されたら僕は家出をするしかないと思う)なんていうか、このお二人を見ているととても不思議な気持ちになる。
何て言えばいいのか、分からないけれど。
「ほーんとマジ災難だっつの。あんたも、いつドコでどんな違法マイクで攻撃されっか分かんねーから、気をつけろよ」
「はい、気をつけます」
しっかり頷いて答えたら伊弉冉さんが、よしよし、って笑った。
とにかく、伊弉冉さんや観音坂さんみたいなすごいラップバトルをする人たちでもそんな恐ろしい目に遭ってしまうらしい。あとで病院へお見舞いに行った時に師匠にも詳しく伝えないと。今は入院しているから大丈夫だと思うけど、万が一退院してからそんな連中に攻撃されないとも限らないし、師匠をそんな目に遭わせるわけにはいかない。絶対に。
伊弉冉さんが焼いてくれたトーストはほんのり甘くて、ほどよく溶けた黄色いバターの塩気にとても馴染んでおいしい。カリッと焼かれた表面に、中はふっくらふわふわで、僕はあっという間にトーストを平らげてしまった。
「お、イイ食いっぷりじゃん? もう一枚焼くか?」
「いいえ、大丈夫です。とてもおいしかったです、ごちそうさまです」
「おそまつさま! ココアも冷めないうちに飲んじゃえよな」
「はい、いただきます」
甘くてあたたかいココアを飲みながら伊弉冉さんと喋っていたら、どうやら僕たちの話し声がうるさかったのか観音坂さんが起きてきた。寝ぼけまなこでぺたぺたとスリッパを引きずるように突っ掛けながらリビングの扉をひらいた観音坂さんは、僕の顔を見るなり目を見開いた。
「あれ、今日はお前が来る日だったのか」
どうやら驚かせてしまったようで、僕は慌ててダイニングチェアから降りると観音坂さんへ頭を下げた。
「お……」
心底安堵した僕の声に観音坂さんが三度またたいた。
「え? なんだって?」
「おっぱい星人じゃなくなってよかったですね」
いつまでも伊弉冉さんのおっぱいを吸いたい気持ちのままじゃつらいだろうなって思ったから、治って良かったですねという気持ちを込めて言ったのに、観音坂さんはものすごい顔をした。
「は……? いや、お前なんでそれを?」
「伊弉冉さんから聞きました。(聞きました)」
伊弉冉さんをチラッと見ると、伊弉冉さんも「俺っちが教えといた!」と軽い口調で頷いた。そうなんです。伊弉冉さんから聞きました。(聞きました)
「おま、はァ!? なんだってそんなこと、こんな子供に聞かせる必要があるんだよ!? セクハラだろうが!?!??」
「セクハラって別に俺っちがコイツのおっぱい吸ったワケじゃねーし。つーかそんな怖え違法マイクがあるってコト、言っとかねーともしコイツがおんなじ目に遭っちまったらカワイソーじゃん?」
「そ、それはそうだが、え? どういう説明したんだよ何で俺が、おっ、おっp」
「端折ったらワケ分かんなくなりそーだったから、1から10までぜーんぶ説明したぜ」
「お前なあ!!!!!!!!!!!!!!!」
観音坂さんの怒号が部屋いっぱいに響いた。
襟首を引っ掴まれた伊弉冉さんは観音坂さんにガクガクゆさぶられていて、剣呑な雰囲気なはずなのにどうしてか、本当に仲がいいんだな……とほほ笑ましくなってしまった。
「チョッチたんま! ゆれる、ゆれる! 脳味噌溶ける!!」
「お前の脳味噌なんかこうしてやる! 撹拌されろ! ていうかお前ホント口が軽すぎるんだよ少しは反省しろ!?」
「待てってどっぽっぽシャツのボタンちぎれる! 胸開いちまうから! あーもー言わんこっちゃねえ誰がボタン付けすんだよどぽちんのえっち!!!!!」
「知るかよ少しは反省しろ!!!????」
僕は今日、病院の寂雷先生へのお届けものがあるからという理由で伊弉冉さんに呼ばれた訳だけど、どうやらそれどころじゃなくなってしまったみたいだ。
アサイチから仲の良さを見せつけられてしまった気がして、僕はそっと席を外すと朝のシンジュクへ散歩に出た。あとで頃合いを見て、伊弉冉さんへメールをしようと思う。ふたりとも普段どおりに見えたけど、もしかしたらまだ違法マイクの効果は切れていないのかも知れないし。
だって観音坂さん、大きく開いた伊弉冉さんのシャツの胸元見てものすごい顔をしていたから。
DJ俺氏、幼馴染家の養子になりたい